どう生きるか
都会の喧騒の中で
働いて 食べて 寝て ときには遊び
連続して続いていく毎日
人よりマシな生活だろう、と思うのは思い上がりかもしれないし、祖父から言われた言葉に影響されているのかもしれない。自分にとって、ただマシな生活なんだろう。
仕事は、多くを稼ぎ
移動は、高級車を利用し
食事は、割烹や寿司を食べ
これは、恵まれた環境だろうか
夢もなく、目の前の仕事を淡々と積み上げていく。こうした毎日に意味を求めたこともないし、何かを変えようと思ったことさえない。ただ続けていくこと、しいて言うなら10年20年とただ毎日が続いていくために生きている。
「最近、趣味ができた」
絵や焼物の収集である。毎日ギャラリーや美術館へ足を運ぶ。忙しいが欠かさず足を運ぶ。何か、心に感じたものを見つけるとそれを持ち帰る。
そして、眺める
特に感情が湧き上がるでもなく、不安や悲しみを感じることもない。ただ美しいと思える。持ち帰ってよかったと自分を納得させるように。
こうした毎日のなかで、タイトルである「どう生きるか」を最近、ふと考える。こうした思いを抱いたのはいつぶりか。考えてみたが、すごく前のような気もするし、そもそも考えたことがないのかもしれない。
「どう生きるか」
どう生きたいか、どうありたいか、どうしたいのか。色々と言葉を変えてみたり、意味を調べてみるが一向に思考はまとまらない。そもそも、日々の生活に意味を持つことを否定してきた。
淡々と生きてきた
ただ、最近何かが引っかかる
そんな日々が続いている
現状に不満はない。これまでの行いに特に思うこともない。これから向かう未来に不安や期待があるわけでもない。ある意味、なにもない。あるひとに「なんでも手に入るからいいわね」といったことをいわれた。それは間違っているともいえないが、気分は悪かった。思い出すことといえば、ただ、それくらいだ。
何かを満たすことが、生きることなのか
前に進まない思考の渦に嫌気が差してきた。だから、こうして文章を書くことにした。これで何かが変わるとも思わない。ただ何もしていないよりは、よっぽどいいだろう。
「どう生きるか」
世の中は、家族のため、人のため、社会のため、地球のため、こうした綺麗事と自分の強みを掛け合わせて生まれた何かに溢れている。私の仕事も私生活も例外ではない。けれど、これが生きる意味を与えてくれることはない。必要であるから、ただそこにいるだけだ。
満たす、満たされるということではない。やりたいやりたくないという話でもなく。やはり、思考はまとまらない。完全に時間の無駄ではあるが、向き合うべきであるとも感じる。
そして、今日も答えが出ることはなく。
キーボードから手を離し、帰宅しようと思う。
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